「山本太郎さんの若い頃がイケメンすぎる!」と今、SNSで再び話題になっています。
若い頃の山本太郎さんは、あの噂の「メロリンキュー」でのバラエティ出演から、数々の映画・ドラマで賞を総なめにする実力派俳優へと成長し、テレビ界に欠かせない存在だった時代があります。
この記事では、山本太郎さんのイケメンと話題になった若き日の姿から、俳優として評価を確立していった時代までをあらためて振り返ります。

山本太郎の若い頃といえば16歳で伝説となった「メロリンキュー」

山本太郎さんが芸能界入りしたきっかけは、1990年、高校1年生の時に出演した日本テレビ系バラエティ番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の看板企画「高校生制服対抗ダンス甲子園」でした。
山本太郎がよかったのは
— lumba (@ekjsG2oYOP47044) December 24, 2025
たけしのダンス甲子園の頃
メロリンキュー、ダブリンキュー、ストロベリーキュー
千代の富士ダッキューもやってたな
面白かったな
過去形
「アジャコング&戸塚ヨットスクールズ」という3人組のリーダーとして出場。
競泳パンツ姿で全身にオイルを塗り、「メロリンキュー」と絶叫するパフォーマンスはあまりの衝撃に、お茶の間を大爆笑させ社会現象を巻き起こしました。

ちなみに、このメロリンキューというフレーズは、山本さんは小学生時代にフィリピンへ短期ホームステイをした時に現地で食べた「バナナQ」というデザートの名前が由来。ただゴロが悪いことから、メロンQ→メロリンQへと変化したそう。
引用元:(2009年4月15日放送『おもいっきりDON!』)
当時は、遊び感覚での出演だったそうですが、学校には「あんな裸踊りをさせるような学校には通わせられない」といった苦情が入り、親や学校との関係に苦労しながらも出演を続けていたのだそうです。
16歳という年齢のわりには大人顔負けの肉体派だったことも話題でしたが、トーク下手だったこともあり勢いだけの一発屋で終わるのではないかという見方は徐々に変わっていきました。
実力派俳優に大成長!注目作や大河ドラマにも次々に出演

映画『代打教師 秋葉、真剣です!』で俳優デビュー
バラエティで注目を集めた山本さんは、1991年の映画『代打教師 秋葉、真剣です!』で俳優デビューを果たし、その後、日本映画界に欠かせない「実力派」へと成長しました。
映画『バトル・ロワイアル』でワイルドな転校生役を熱演

代表作となった映画『バトルロワイアル』
深作欣二監督の超問題作で、過去のゲームの生存者である「転校生」川田章吾を熱演。当時は26歳頃でした。

バンダナ姿の凛々しい姿は、今も多くのファンの記憶に残っています。
三谷幸喜脚本の大河ドラマにも挑戦!

2004年に放送された大河ドラマ『新選組!』は三谷幸喜さん脚本の作品で、槍の名手・原田左之助役を演じました。当時は30歳頃でした。
明るい兄貴分という役柄は、自身のパブリックイメージを決定づけ、現在も香取慎吾さんら共演者と深い親交があります。
俳優としての評価と原点となった経験

2001年には映画『GO』『光の雨』で日本映画批評家大賞助演男優賞、2003年には『ゲロッパ!』などでブルーリボン賞助演男優賞を受賞。
その俳優として成長した演技力は高く評価されました。
『光の雨』、『GO』で2001年度日本映画批評家大賞助演男優賞を、『MOONCHILD』、『ゲロッパ』、『精霊流し』で2003年度ブルーリボン賞助演男優賞を受賞。
引用元:山本太郎公式HP
山本太郎が俳優だった頃を知らない世代もいるよね!
— ろくたん✈️🏨🛒 (@greenrocker2) October 28, 2024
私はウルルン滞在記のイメージが強い!!
ウルルンって部族バージョンも結構多かったような?
事故とかなかったのかな?
今思うと結構攻めてる番組だった😅
まさか政治の世界に進むとは思わなかったよ https://t.co/R8RxAaLp4K pic.twitter.com/4g0VtzGWnl
また、TV『世界ウルルン滞在記』では、身体を張った体当たりレポートで人気を博し、現地の人々と涙を流し別れる姿は、後の現場主義的な政治活動の原点になっていると言われています。
芸能界のタブーに挑んだ2011年の決意とその背景

華々しい俳優キャリアを歩んでいた山本太郎さんですが、2011年3月11日の東日本大震災が大きな転機となりました。
脱原発に目覚め所属事務所を退所
政府発表の「直ちに健康への影響はない」という言葉に疑念を抱き、震災直後の4月から反原発活動を開始しました。
芸能界はスポンサー(特に原子力関連企業)の影響が強く、抗議活動への参加は「商業的死」を意味していましたが、山本さんは「仕事を干されてもいい」と覚悟を決め、2011年5月末に所属事務所を退所しました。当時37歳でした。
俳優から「ソーラーパネル営業マン」へ!入社式も出席

山本太郎さんは活動休止前、2012年の主演映画『EDEN』では初のゲイ役に挑戦。当時38歳でした。
プロデューサーに「この時期にボクの主演映画ですか…勇気ありますね」と語るほど、自身の立ち位置を客観視していました。
この映画では、新宿二丁目のショーパブの店長であるミロという役を演じています。
俳優時代の裏話には、山本さんのセリフ覚えが悪く、現場には山本さんの顔の向く方向にカンペが用意されていたとか。
2011年5月に所属事務所を退職した山本さんは、同年2012年にソーラーパネル販売会社の正社員として就職という明確な「生活の激変」のステップが記録されています。

2012年4月、太陽光発電設備の販売や施工を手掛ける「ソーラーリフォーム社」(横浜市)に正社員として就職。
引用元:Wikipedia
スポーツ選手を企業がサポートするような形で、当時は期間限定3ヶ月で営業部に配属されたそうです。
山本太郎の若い頃からプライベートの現在の姿
山本太郎さんは、2012年当時37歳の時に18歳年下の女性と交際1ヶ月での電撃スピード婚をしましたが、わずか3ヶ月で離婚をしています。
その元妻との結婚生活で一体何があったのか、現在の結婚状況なども詳しく解説している記事はこちらです。↓↓↓

51歳となった今も、「若い頃のかっこよさは健在」どころか「俳優時代よりオーラが増した」と、そのカリスマ性に惹きつけられる人は少なくありません。
型破りな表現スタイルへの賛否は今なお絶えませんが、2026年1月に病気療養のため潔く議員を辞職した決断も、彼らしい引き際として大きな注目を集めました。
俳優から政治家へ、どんなに立場が変わっても、根底にある「誰かのために」という情熱は若い頃からずっと変わらないままです。
今はしっかりと体を休め、またいつか彼らしい力強い言葉が聞ける日が来るかもしれませんね。