オリックス・バファローズの主力左腕として頭角を現し、2026年のWBC日本代表(侍ジャパン)にも選出された曽谷龍平さん。
最速150キロを超える直球と「ジェッスラ」と呼ばれる鋭いスライダーを武器に、球界を代表する投手へと成長しました。
この記事では、そんな曽谷龍平さんの原点、故郷・奈良県斑鳩町で過ごした家族との時間や、実家のご両親、お兄さんとの心温まるエピソードについて調査しました。

曽谷龍平の実家と家族構成・奈良県斑鳩町の4人家族

氏名:曽谷龍平(そたに りゅうへい)
生年月日:2000年11月30日生/25歳(2026年現在)
出身地:奈良県生駒郡斑鳩(いかるが)町
身長:182cm
学歴:斑鳩町立斑鳩中学校
ノースアジア大学明桜高等学校
白鴎大学本キャンパス
所属チーム:オリックス・バッファローズ
プロ入り:2022年ドラフト1位
曽谷龍平さんの実家は、世界遺産・法隆寺で知られる奈良県生駒郡斑鳩(いかるが)町です。
家族構成は父親、母親、2歳年上の兄、そして曽谷さん本人の4人家族。
曽谷家が一気に注目を集めたのは、ドラフト指名の直後でした。
小学2年生の時に書いた「20歳の自分」への手紙が見つかったのです。
母親が部屋の掃除中に発見したこの手紙には、驚くような内容が綴られていました。
当時8歳の曽谷さんは、手紙の中で未来の自分にこう呼びかけています。
20さいのぼくへ。(中略)プロやきゅうのせんしゅになっていますか。ドラフト1いでおかねもちになっていますか。オリックスにはいってください。
引用元:スポーツ報知(パ・リーグ.com)
14年越しに「ドラフト1位でオリックス入団」という夢をピタリと当てた形です。
なぜこれほど明確に「オリックス」だったのでしょうか。
その理由は、幼い頃の家族の思い出にありました。
奈良の実家から近い京セラドーム大阪へ、両親が車で何度も観戦に連れて行ってくれたことが、オリックスへの愛着を育むきっかけだったといいます。
ただ、本人はこの「予言」について冷静な捉え方をしています。
地元への表敬訪問では「書くことは誰でもできる。実現するのが本当に難しい」と語り、日々の努力の積み重ねこそが重要だという実直さを見せていました。
子供の頃から明確な目標を持ち、それを温かく見守ってくれる家庭で育ったことがよく分かるエピソードですよね。
父親は斑鳩町役場の課長・少年野球チームのコーチも務めた元球児

父親の名前は博一さん。
地元・斑鳩(いかるが)町役場に勤める公務員で、現在は「安全安心課長」という役職に就いています。
父親自身も元球児で、県立斑鳩高校(現・法隆寺国際高校)時代には捕手として明治神宮大会に出場した経歴の持ち主。
少年野球チームのコーチも務めていましたが、決して野球を強制することはなかったそうです。
そんな父・博一さんの愛情が伝わるエピソードが、曽谷さんの入寮時にありました。
話題になっていた「8歳の作文」をわざわざカラーコピーし、クリアファイルに入れて集まった報道陣一人ひとりに配ったのです。
「努力し続ければ夢は叶う」という息子の思いを、父として全力でバックアップしたいという親心が伝わりますよね。
地元への表敬訪問で、父親は役場の立場として司会進行を務め、息子へこんなエールを送りました。
けがなく元気にマウンドに立っている姿を見られるだけでも幸せ。自分のやっていることを結果として出してもらえたら、これ以上に幸せなことはないですね
引用元:スポーツ報知(パ・リーグ.com)
技術指導よりも、息子が元気にプレーすることを第一に願っているようです。
父親は息子がプロで活躍する姿を「自分の息子じゃないような感じ」と語ることもあり、公私を分けた節度ある距離感で応援している様子が伝わってきます。
母親は誰よりも応援してくれる「一番の味方」手料理も大好物!

母親の名前は香織さん。
曽谷さんが「一番の味方」と公言する存在で、プロ入り後も登板のたびにメッセージを送ってくれるそうです。
母・香織さんには、忘れられない幼少期の光景があるといいます。
それは、野球を始めたばかりの小学1年生の頃、曽谷さんが「布団の中でグローブをはめたまま寝ていた」姿。
週末の練習が待ち遠しくて仕方なかったという息子の情熱を、母はずっと一番近くで見守り続けてきました。
また、曽谷さんは母親の手料理が大好物で、独身時代には「お肉の中にシイタケやキノコが入ったハンバーグ」を楽しみに帰省していたそうです。
母の日に際し、曽谷さんは感謝の思いをこう綴っています。
1軍で投げるたびに応援のメッセージをくれるし、試合にも見に来てくれる。いつも味方でいてくれて、誰よりも応援してくれる
引用元:サンケイスポーツ
プロの厳しい世界で戦う中で、母親の変わらない応援が精神的な支えになっているのでしょうね。
ドラフト指名直後にも、曽谷さんは真っ先に「とにかく両親を幸せにしたい」
と語っており、両親への感謝が原動力になっているのは間違いなさそうです。
兄の存在が野球人生のスタート地点

曽谷龍平さんの野球人生を語る上で欠かせないのが、2歳年上の兄の存在です。
兄は一般の方のため詳しいプロフィールは公表されていませんが、曽谷さんが野球を始めるきっかけを作った人物なのです。
兄について行ったことがすべての始まり
幼少期の曽谷さんは、母親いわく「いつもお兄ちゃんにくっついていた」甘えん坊でした。
転機が訪れたのは小学1年生の時。
兄が同級生に野球チームへ誘われた際、曽谷さんも「僕も行く」とついていったのが始まりです。
両親は当時を次のように回想しています。
曽谷が小1のとき、兄が『納(おさめ)大地が野球しようやって言うねん』と両親に言った。……これが曽谷の野球人生の始まりだった
引用元:朝日新聞
ここに出てくる納大地さんは、後に智弁学園で選抜優勝を果たす選手です。
兄の交友関係が、曽谷さんの才能を開花させる入り口になりました。
兄に負けたくない気持ちが強さの原点
兄の背中を追って育った曽谷さんですが、単なる「弟」では終わりませんでした。
当時から異常なほどの「負けず嫌い」を発揮しており、兄弟でテレビゲームをして負けると、自分が勝つまで絶対に終わらせなかったといいます。
大学時代の恩師も、その性格こそが成長の要因だと分析しています。
彼の成長の糧となったのは『負けず嫌い』です。自分の投球が上手くいかなかったとき、悔し涙を何度も見てきました。そしてそこからの努力を怠りません
引用元:白鴎大学公式サイト
幼少期に兄との遊びで培われた競争心が、プロの世界でも生き残るための武器になっているようです。
結婚で新しい家族も増え責任と覚悟を持つ決意

2025年12月、曽谷さんは新たな家族を迎えました。
かねてより交際していた同学年の一般女性との結婚を発表。
プロポーズでは108本のバラを贈ったというロマンチックな一面も見せています。
結婚後は、好物も「母のハンバーグ」から、妻が作る「大葉をはさんだささみのチーズ焼き」へとアップデートされたそうです。
実家の両親や兄に見守られ、新しいパートナーという支えも得た曽谷龍平さん。
「守るものが増え、より一層責任と覚悟を持って野球に取り組んでいく」という決意の通り、家族の存在を力に変えて、さらなる飛躍を見せてくれることでしょう。
