2024年から群馬県前橋市の市長となった小川晶さんが、週刊誌による「ラブホテル密会」報道でメディアのスポットライトを浴びる中、小川晶さんの若い頃にも注目が集まっています。
前橋市史上初の女性市長として就任した小川晶さんですが、一体どのような青春時代を過ごし、現在の地位まで上り詰めたのでしょうか?
農家の娘から弁護士、そして政治家への道のりには、多くの興味深いエピソードが隠されています。
この記事では、群馬県前橋市長である小川晶さんの若い頃について詳しく調査しました。

小川晶の若い頃は農家に生まれた志の高い少女

■ 小川晶(おがわあきら)
■ 1982年12月21日生/42歳
※2025年現在
■ 千葉県匝瑳市(そうさし)出身
■ 3人きょうだいの長女(兄、妹)
■ 前職・群馬県議会議員(2011年~2024年)、前橋市長(2024年~)
■ 弁護士登録(2007年)
小川晶さんは、千葉県匝瑳(そうさ)市で米農家の長女として生まれました。
3人きょうだいで、兄と妹がおり、自身は第2子として田畑に囲まれた環境で育ちました。
米農家として働く父の背中から働く尊さを知った

実父である小川浩さんは全国農民会議共同代表を務める人物で、農業に対する深い思いを持っていました。
米作りを営む家で育った小川晶さんは、自然と農業の厳しさや働くことの尊さを学んでいきました。
農家を営む父の背中を見て、働くことの尊さ、汗を流すことの清々しいさ、収穫の喜び、家族や近所の人々と助けあう心を、肌で感じながら育ちました。
三里塚闘争にも参加した経験を持つ父親の背中を見て育った小川晶さんは、幼少期から社会問題への強い関心を抱いていたと考えられます。
母の働く姿から社会の役に立つ仕事をしたいと思うように

母親は公務員として社会のために働く姿を見せていました。
私がより影響を受けたのは、公務員として社会のために働く母の姿であったと思います。女性も、社会のために貢献できる。母のように、将来は社会の役に立つ仕事がしたいと思うようになりました。
このような環境で育った小川晶さんは、早い段階から「社会の役に立つ仕事をしたい」という強い志を抱いて育ちました。
小川晶の若い頃・文武両道を貫いた中高時代

学生時代の小川晶さんは、部活動を通じて協調性やリーダーシップを身につけていきましたが、あることで大きな衝撃を受け、人生の方向・運命が変わった時期でもありました。
スポーツ万能な学生生活

小川晶さんの中学時代はバレーボール部に所属し、チームプレーの喜びやリーダーシップを学びました。
そして高校に進学すると、少林寺拳法部へ転向しました。
少林寺拳法といえば、精神鍛錬と身体術を融合させた武道で、女性部員も珍しくありませんが、当時の小川晶さんは「護身術としてだけでなく、心の強さを養う」ことを重視していたそうです。
さらに茶道も習い、日本の伝統文化にも親しんでいたことがわかります。
この高校時代の部活動が「文武両道の原点」と記されており、茶道も並行して習っていたところがとても興味深いですね。
これらの活動から、小川晶さんが単に勉強だけではなく、心身のトータル的な成長を目指していたことが伺えます。
教員志望から弁護士へと転身させた運命を変えた事件

もともと小川晶さんは教員を志望していたといいます。
ですが、1997年(小川晶さんが当時14歳)に起きた神戸連続児童殺傷事件で、自分と同い年の少年が逮捕されたことに大きな衝撃を受けました。
この事件をきっかけに、「なぜこのような事件が起きるのか」「法律で社会を変えることはできないか」といった思いを抱くようになり、弁護士を志すようになったそうです。
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この経験は、小川晶さんの人生観や価値観を根本的に変える大きな転機となりました。
法律を学ぶだけではなく、「社会の問題を解決したい」という強い意志を持って法律の道を選んだのです。
小川晶の若い頃・司法試験合格への挑戦

2001年に小川晶さんは、中央大学法学部法律学科に進学しました。
中央大学法学部は、司法試験合格者数で長年トップクラスの実績を誇る名門学部として知られています。
大学時代の小川晶さんは、司法試験合格という目標に向かってひたすら努力を重ねる日々を過ごしました。

当時の司法試験は現在よりもさらに困難な試験とされており、合格率も極めて低い状況でした。
そして2005年、大学5年生の23歳の若さで、旧司法試験に合格することができました。
合格率はわずか3%前後とされ、23歳合格はまさに「トップクラス」の逸材です。
大学については「2005年中央大学5年生で、司法試験に合格。2006年中央大学法学部を卒業」と説明。
引用元:日刊スポーツ
小川晶さんの並外れた努力と才能の賜物を示すものでした。
この合格により、小川晶さんは2006年3月に中央大学法学部を卒業し、同時に司法修習生としての道が開かれることになりました。
小川晶の若い頃・司法修習時代に前橋市へ

2007年、小川晶さんは群馬弁護士会に弁護士登録を行い、前橋市内の法律事務所で弁護士としてのキャリアをスタートさせました。
この時、小川晶さんは司法修習60期生として、多くの法律問題に取り組んでいくことになります。
弁護士時代の小川晶さんは、特に家庭内暴力(DV)の被害者支援に力を入れていました。
もともと弁護士として女性のDV被害者支援の体制強化や、子どもの貧困対策について行政に要望を出し続けていました。
引用元:選挙ドットコム
これは、学生時代から抱いていた「社会の弱い立場の人を助けたい」という思いの実現でもあったようです。
しかし弁護士業務を通じて、法律だけでは解決できない社会の課題に直面するようになっていったといいます。
「それは法律や裁判では解決できないので、行政に相談してください。」
そう依頼者に説明するとき、何もできない自分にとてももどかしい思い、悔しい思いを感じてきました。引用元:選挙ドットコム
この経験が積み重なり、法律を作る立場である政治家を志すきっかけとなっていきました。
小川晶の若い頃・群馬県議会議員に立候補

小川晶さんが28歳の時に、民主党公認で2011年の群馬県議選の前橋選挙区に出馬し初当選しました。
この選挙では民主党は逆風を受けており、党が公認・推薦した新人6人のうち当選したのは小川晶さんのみという快挙でした。
これ以降4期にわたり、県議会議員として子育て支援や福祉政策、教育問題に力を入れてきました。
2021年6月には、ジェンダー平等の推進にも取り組んできました。
2018年には、民進党籍だった小川晶さんは民主党から離党し無所属となりましたが、その後も2019年と2023年の県議選では無所属で出馬し、当選を重ねました。

小川晶の若い頃・初の群馬県外出身者の初の女性市長誕生

小川晶さんは2023年11月、2024年2月の前橋市長選への出馬を表明しました。
無所属で立候補し、立憲民主党や国民民主党、社民党からの推薦は受けず、連合群馬や共産党系の市民団体からの支援を受けて選挙に臨んだそうです。
選挙戦では当初劣勢が伝えられていましたが、支持を広げ続け、自公が推薦する現職の山本龍さんを破り見事、前橋市長に当選を果たしました。

これにより、前橋市では初の女性市長が誕生するとともに、公選の前橋市長としても初の群馬県外出身者となりました。
小川晶さんのこれまでの歩みは、社会正義への思いと弱者へのまなざしが一貫しています。
農家の娘として生まれ、弁護士として社会の矛盾と向き合い、政治家としてよりよい社会の実現を目指すその姿勢は、多くの市民の期待を集めてきました。
2025年9月に報じられた「ラブホテル密会」報道で、今後の市政運営においては、透明性の高い説明責任が求められることでしょう。


