女優で作家の岸惠子さんの訃報が、2026年8月19日に所属事務所から発表されました。
老衰のため8月7日に息を引き取ったとされ、93年の生涯に幕を閉じています。
岸さんが最期を迎えたのは横浜市の自宅でしたが、かつて長く暮らしたパリにも大切にしてきた家がありました。
スポンサーリンク岸惠子さんの最期は横浜市の自宅・晩年の住まいはどこ?

事務所関係者はテレビ局の取材に対し、亡くなった場所は自宅で、最期は近親者に見守られながらだったと説明しています。
複数の報道でも、岸さんが横浜市の自宅で息を引き取ったと伝えられています。
「岸恵子さんが7日、横浜市の自宅で死去したことが19日分かった」
引用元:ライブドアニュース(スポニチアネックス)
つまり、岸惠子さんが最期の時間を過ごしたのは、横浜市内にある自宅だったということになります。
国際的な女優として世界を飛び回っていた岸さんですが、人生の最後に身を置いていた場所は、生まれ育った街の家だったことになります。
自宅の具体的な場所は「横浜市白楽」という情報も
自宅が横浜市内にあることは複数の報道で共通していますが、より詳しい地域名まで気になった方もいるかもしれません。
ネット上の一部サイトでは、岸さんの自宅について「横浜市白楽」「築80年ほどの日本家屋」といった具体的な情報も見られます。
SNS上でも、訃報を受けて自宅の場所を推測する投稿がいくつか見られました。
ただし、これらは主要な新聞社や通信社の記事では確認できておらず、あくまでネット上で語られている情報にとどまります。
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岸惠子さんがパリを離れ横浜へ戻った理由は母の死と娘の結婚

国際的な女優として長年パリを拠点にしていた岸惠子さんが、なぜ横浜の家に戻ることになったのでしょうか?
それは単なる「帰国」ではなく、いくつかの出来事が重なった末の決断だったことが、過去のインタビューで語られていました。
国連親善大使としてアフリカにいた時に届いた訃報
岸さんは婦人公論のインタビューで、日本とパリの両方に生活の場を持つようになった直接のきっかけを語っています。
国連の親善大使としてアフリカの奥地に滞在していた際、母親が亡くなったという知らせを受けたそうです。
母は岸さんの帰りを待ちわびながら息を引き取ったとされ、岸さんは死に目に会えなかったことを長く悔やんでいたと明かしています。
「両親が残してくれた古家に戻りました」
引用元:婦人公論.jp
その年の秋に娘の結婚も重なった
母の訃報だけでなく、同じ年に起きたもうひとつの出来事も、岸さんの決断を後押ししたようです。
母の訃報が届いたのと同じ年の秋に、娘の麻衣子さんが結婚しました。
岸さんは、母親としての自分にもひとつの区切りをつける時期が来たのではないかと感じ、両親が残した横浜の古い家に戻ったと説明しています。
パリの家はそのまま、ヨーロッパでの仕事の際に使う事務所として残していたそうです。
岸さんは1932年に横浜で生まれています。
渡仏から40年以上を経て戻った先が、生まれ故郷であり両親が残した家だったことは、単なる帰国以上の意味を持っていたと言えそうです。
スポンサーリンク岸惠子さんが長年暮らしたパリの家は築400年以上だった
横浜の家に戻った後も、岸さんとパリの家とのつながりは続いていました。
ここからは、長年暮らしたパリの家について見ていきます。
サン=ルイ島の築400年の建物
岸さんは1957年、フランス人映画監督のイヴ・シャンピさんと結婚したことをきっかけにパリへ移住しました。
1975年に離婚した後も、パリを拠点にした生活を続けていたとされています。
岸さんの自宅は、パリの中心部にあり最高級住宅街としても知られるサン=ルイ島にあり、築400年ともいわれる建物だったと紹介されています。
石造りの古い街並みが残るこのエリアの家は、長年暮らしたパリの拠点として知られています。
老朽化で部屋が水浸しになったことも
400年という建物の古さは、決して数字だけの話ではなかったようです。
岸さん自身が日本経済新聞への寄稿で明かしたところによると、2018年秋にはこの建物の一部が崩落する出来事があり、豪雨の際には自宅が水浸しになって修復工事が続いていたといいます。
「築400年の年代物には様々な災難が起こる」
引用元:日本経済新聞
日刊スポーツによると、岸さんが暮らしていたのは建物の4階部分で、崩落した3階とは別だったため直接的な被害は免れたとも報じられています。
その後は娘の麻衣子さんが現地でリフォームを進め、様子を写真で伝えていたとも伝えられており、離れて暮らしながらも家族で家を守り続けていたことがうかがえます。
米寿を迎えた2020年時点でも、パリの家は「現役」として報じられており、帰国後もこの家とのつながりが続いていたことがわかります。
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日本とパリを行き来した「空飛ぶマダム」の人生
横浜の家に戻ってからも、岸さんの生活はパリと完全に切り離されたわけではありませんでした。
「君の名は」で国民的スターとなった後、フランスへ渡った岸さんは、日本とフランスを行き来する独自の人生を歩みました。
結婚後もフランスに定住しながら日本映画への出演を続けていたことから「空飛ぶマダム」と呼ばれ、その後はジャーナリストとして世界各地を取材し、エッセイストとしても「巴里の空はあかね雲」などの作品を残しています。
2000年前後に横浜へ生活の重心を移した後も、パリの家との関わりは続き、横浜とパリという二つの場所とのつながりを長年にわたって保っていたことになります。
晩年も執筆活動やトークイベントへの出演を続けていたと伝えられており、横浜の家は静かに余生を過ごすためだけの場所ではなく、仕事と生活が結びついた拠点だったとうかがえます。
90歳を超えてからも新しい著書を世に送り出すなど、住まいを変えないまま創作活動を続けていた様子がうかがえます。
スポンサーリンク岸惠子さんの晩年は横浜の自宅が生活拠点だった
岸惠子さんの最晩年の生活拠点は、横浜市の自宅でした。横浜に戻ったきっかけは、国連の親善大使としてアフリカに滞在していた際に届いた母の訃報と、同じ年の秋にあった娘の結婚だったと、本人が語っています。
パリには長年暮らした家があり、帰国後も仕事の拠点としてのつながりが続いていたことも、報道からうかがえます。
スターの座を捨ててまで選んだパリでの40年以上の暮らしと、生まれ育った横浜への帰還。
その両方を経たうえで迎えた最期だったことを思うと、横浜の家で静かに幕を閉じた93年の人生は、遠くパリの空の下にも、その面影を残しているのかもしれません。