自民党所属の参議院議員として活躍し、経済安保相としての起用が固まった小野田紀美さん。
国会での堂々とした立ち居振る舞いや、SNSでの率直な発信が注目を集めていますが、実は政治家になる前にモデルとして活動していたという意外な過去があります。
身長170cmのスタイルを活かし、ウェディングドレスを100回以上着用した経験や、ミス・インターナショナル、ミス・ワールドの日本代表ファイナリストとして華やかな舞台に立っていた小野田紀美さん。
この記事では、小野田紀美さんのモデル時代について徹底的に調査してみました。

小野田紀美がモデルを始めた時期と理由とは…

■ 小野田紀美(おのだきみ)
■ 1982年1月27日生/42歳
■ アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ
■ 前職 ゲーム制作会社社員
■ 自由民主党
小野田紀美さんがモデル活動を始めたのは、2005年〜2007年頃、大学卒業後の20代前半です。
拓殖大学政経学部政治学科を卒業した後、塾講師や雑誌編集の仕事と並行してモデル業を経験していました。
地元の高校卒業後、拓殖大学政治学科を経て塾講師やモデルを務め、ゲーム会社に就職。
引用元:NEWSポストセブン
政治家になるための戦略としてのモデル業

小野田紀美さんがモデルを始めた理由は、政治家になるための戦略だったと本人が明かしています。
政治家になるには「地盤・看板・鞄」と呼ばれる基盤が必要とされますが、小野田さんにはそれらがありませんでした。
大学で政治を学びつつ、もはやタレント議員しか道はないのでは?とモデルなどのバイトをするも迷走。
引用元:小野田紀美公式HP
つまり、認知度を高めて「看板」を作るためにモデル活動を選んだのだそうです。
ハーフで丹精なお顔立ちで170cm有ってモデルの経験も有って利発でブレなくて空手も嗜んでらっしゃって漢気も有って姿勢がいつもとても綺麗でかっくいい参議院議員 小野田紀美さんのにゃんにゃん言ってる動画で益々すき。 https://t.co/wDZWLKUYkx pic.twitter.com/GfYpi1EDwv
— にゅんこ() (@_nyunyade) October 21, 2022
当時は政治家への道が見えず試行錯誤していた時期でしたが、この経験が後の政治家としての「見せ方」や「伝え方」に大きく影響していると考えられます。
小野田紀美の迷走しながらも評価され続けたモデル時代

小野田紀美さんのモデル時代で最も注目されるのが、ウェディングドレスを100回以上着用したというエピソードです。
本人が語る「花嫁衣装100回」
はい花嫁姿(´-`)つ
— 小野田紀美@岡山 (@onoda_kimi) May 23, 2020
15年前ですがこれで納得して下さい。花嫁衣装はは仕事やミスコンで100回は着たのでもういいですー。 pic.twitter.com/TEeWqvD8ZM
2020年5月23日、小野田紀美さん自身がX(旧Twitter)で、15年前のウェディングドレス姿の写真を公開しました。
この投稿により、小野田紀美さんがブライダルモデルとして多数のショーやイベントに出演していたことが明らかになりました。
身長170cmという恵まれたスタイルを活かし、ウェディングドレスを美しく着こなす姿は、当時から高く評価されていたようです。

ブライダル業界では、ドレスショーや雑誌撮影など、ウェディングドレスを着る機会が非常に多く、小野田紀美さんはその分野で引っ張りだこだったことが伺えます。
ミス・インターナショナル、ミス・ワールドのファイナリストとして
昔の写真を!とのリプ頂いたので、これまた15年ほど前のミスインターナショナルの記念写真を。どーこだ。ファイナリストのみんなとですが、確か研修の後か何かで撮ったのでみんなラフですね。本番は盛りますからね!年末のどさくさ紛れに上げてみました。 pic.twitter.com/z9i75a2zvr
— 小野田紀美@岡山 (@onoda_kimi) December 31, 2018
小野田紀美さんは、モデル活動と並行してミスコンテストにも出場していました。
2018年12月31日のX投稿で、小野田さんは「15年ほど前のミスインターナショナルの記念写真」を公開し、「ファイナリスト」であったことを明かしています。
ミス・インターナショナルは、ミス・ワールド、ミス・ユニバースと並ぶ世界三大ミスコンテストの一つであり、日本代表のファイナリストに選ばれることは非常に名誉なことです。
ミス・ワールド日本代表ファイナリストとしての経験

さらに、2018年6月13日のX投稿では、「昔ミス・インターナショナル、ミス・ワールドの日本代表ファイナリストで水着&ドレス審査経験者だった」と語っています。
水着審査やドレス審査を経験したことで、舞台での立ち居振る舞いや表現力を磨きました。
この経験は、現在の国会での堂々とした答弁や、カメラの前での自然な振る舞いにつながっていると考えられます。

ソニー銀座プレイステーションアテンダントとしても活動していた

モデル業と並行して、小野田紀美さんはソニー銀座のプレイステーションショールームでアテンダントを務めていました。
ゲーム好きが高じたアルバイト

小野田紀美さんは元々ゲーム好きで知られており、プレイステーションのショールームで来場者を案内する仕事は「好きなものに囲まれて働ける最高の環境だった」と振り返っています。
この経験は、後にゲーム・CD制作会社(株式会社アスガルド/honeybee)での広報・プロモーション業務へとつながり、政治家になる前の重要なキャリアの一部となりました。
公式サイトによれば、2005年〜2007年に「ソニー銀座プレイステーションアテンダント、塾講師、雑誌編集、モデル等」を経験したと記載されています。
2005年~2007年
ソニー銀座プレイステーションアテンダント、塾講師、雑誌編集、モデル等
引用元:小野田紀美HP
バイトや契約社員、派遣など様々な業務形態で働きながらも政治家への道を諦めずに模索していたという小野田紀美さんの政治家に対する本気度が伺えますね!
モデル時代の経験が政治家としての小野田紀美を形作った

小野田紀美さんのモデル時代の経験は、現在の政治家としての活動に大きな影響を与えています。
立ち居振る舞いと姿勢の美しさ

モデル時代に学んだウォーキングや立ち姿は、国会やイベントでの堂々とした姿勢につながっています。
ウォーキングの先生から教わった「人はギリギリの時が一番美しい」という言葉は、今でも小野田紀美さんの心に残っているそうです。
人前で話す度胸と伝える力

ミスコンやショーでの舞台経験は、人前で話す度胸を養いました。
国会答弁や街頭演説での分かりやすい語り口は、モデル時代に培った「見せ方」「伝え方」のスキルが活かされていると言えるでしょう。
多様な職歴が現場感覚を生んだ

塾講師、雑誌編集、モデル、ゲーム会社勤務という多様な職歴は、幅広い層の国民の声を理解する力につながっています。
小野田紀美さんが「現場感覚を持つ政治家」として評価されるのは、こうした経験があるからなのでしょうね。

小野田紀美さんのモデル時代は、単なる「華やかな過去」ではなく、政治家になるための戦略的な経験でした。
これらすべてが、現在の小野田紀美さんの「堂々とした姿勢」「分かりやすい発信力」「親しみやすさ」を形作っています。
政治家としての「見せ方」と「伝え方」を知る小野田紀美さんの今後の活躍にも期待したいですね!




