「NHKをぶっ壊す!」のフレーズで知られた立花孝志さん。
立花孝志の若い頃は、幼少期の厳しい家庭環境、パチンコで生計を立てていた高校時代、そしてNHK職員として働いた19年間…といった想像以上に壮絶な人生だったようです。
この記事では、立花孝志さんの若い頃の生い立ち、NHK入局の経緯、そして内部告発に至るまでの軌跡について調査しました。

立花孝志の若い頃を象徴する壮絶な少年時代

■ 立花孝志(たちばなたかし)
■ 1967年8月15日生/58歳
※2025年現在
■ 大阪府泉大津市出身
■ 政治家、YouTuber、タレント
立花孝志さんの若い頃を語る上で欠かせないのが、幼少期の過酷な家庭環境です。
両親の離婚と栄養失調に苦しんだ小学生時代
立花孝志さんは1967年8月15日、大阪府泉大津市の助松団地で生まれました。
Wikipediaによると、立花孝志さんが5歳くらいの時に両親が離婚し、父親と姉の3人で暮らすことになります。
立花さんの生い立ちについて、孤独で不遇な少年時代を語っています。
「両親がほとんど家にいない、寂しい家庭で育ちました。団地で一人ぼっち……。父親も母親も不倫していて、いつも浮気相手と一緒にいたんですよ。父親は普通のサラリーマンでしたが、たまに家にカネを置きに帰ってくるとスグに出て行ってしまいました」
引用元:FRIDAY
立花孝志さんの若い頃がいかに孤独で厳しい環境だったかが伝わってきます。
さらに深刻だったのは、生活費の不足です。
Wikipediaによれば、立花孝志さんが小学5年生の時に栄養失調で倒れ、そこから母親が戻ってきたとされています。
小学5年生から新聞配達で家計を支える

生活費が足りない中、立花孝志さんは小学5年生から新聞配達のアルバイトを始めます。
週刊FRIDAYのインタビューでこう振り返っています。
「まったく足りませんよ。毎日、生きるのに必死でした。小学5年生から新聞配達のバイトをして何とか生活していましたが、ある日小学校の教室でぶっ倒れたんです。いきなり目の前が真っ白になってね。栄養失調でした」
引用元:FRIDAY
小学生という年齢で家計を支える重圧を背負っていた立花孝志さんの若い頃は、想像を絶する苦労の連続でした。
この少年時代の経験が、後にNHKの不正経理を告発する正義感につながったとも言われています。
立花孝志の若い頃はパチプロだった高校時代

中学を経て高校に進学した立花孝志さんですが、若い頃の苦労はさらに続きます。
偏差値30台の高校で独り暮らしをスタート
立花孝志さんは大阪府立信太高等学校に進学しますが、この高校は偏差値30台の公立高校でした。
日刊ゲンダイの記事では「パッとしなかった立花が天下のNHKに就職したのは、『人生の大逆転劇』だった」と評されています。
高校時代の立花孝志さんは、実家を離れて独り暮らしを始めたそうですが、とてもお金に困っていたそうです。
「実家にいるのがイヤで風呂ナシ便所ナシの独り暮らしを始めたんですが、学費も家賃も払う余裕がなかったんです。ホンマにカネがなくてね」
引用元:FRIDAY
学生でも親の援助なしで一人暮らしをするほど、実家にいることが苦痛だったようです。
3ヶ月で400万円を稼いだパチプロ時代

学費や生活費を稼ぐため、立花孝志さんは早朝3時起きの新聞配達、ガソリンスタンド、祖父が経営していた観光船のチケット切りなど、さまざまなアルバイトを掛け持ちします。
そして空いた時間にはパチンコで生計を立てていました。
週刊FRIDAYのインタビューでは、驚くべき証言が飛び出します。
「空いた時間にやっていたのはパチンコです。3ヵ月で400万円ほど稼いだこともあります。もうパチプロですよ。ガラの入ったシャツにサングラスをかけ、チンピラのような格好で街を歩いていました」
引用元:FRIDAY
立花孝志さんの若い頃は、まさにパチプロとして腕を磨いていた時期だったようです。
この経験は、NHK退職後の8年間もパチンコで生計を立てていたことにつながります。
興味深いのは、立花さんが「不良グループとは一線を画していた」と語っている点です。
同インタビューで「幼い頃から苦労してきたからか、同年代が幼稚に見えたんです」と述べており、若い頃から同年代とは違う大人びた考え方をしていたこようです。

立花孝志の若い頃の転機:NHK入局という人生逆転

パチプロとして生きていた立花さんに、人生を変える転機が訪れます。
教師の勧めで天下のNHKへ
1986年4月、立花孝志さんは高校の教師の勧めでNHKに入局します。
Wikipediaによると、和歌山放送局庶務部に配属されました。
週刊FRIDAYのインタビューで、立花さんは入局の経緯をこう明かしています。
「学校の先生に勧められたんです。和歌山放送局に採用枠があると」
引用元:FRIDAY
当時のNHKには高卒採用枠が存在し、立花孝志さんはその枠で採用されました。
パッとしなかった立花が天下のNHKに就職したのは、『人生の大逆転劇』だった。
引用元:日刊ゲンダイ
NHK職員時代の19年間
1991年7月、立花孝志さんはNHK大阪放送局経理部に異動します。
その後1998年7月には、スポーツ報道センターのセンター長の要請でNHK本部報道局スポーツ報道センターに異動しました。
立花孝志さんがNHK職員として働いた19年間は、若い頃の貧困から脱却し、安定した生活を手に入れた時期でした。
しかし、この職場で立花孝志さんは組織の不正を目の当たりにすることになります。

【動画】立花孝志の若い頃を決定づけた内部告発という選択
NHK職員として働く中で、立花孝志さんの若い頃の正義感が再び目を覚まします。
2005年の週刊文春での実名告発
立花孝志って、NHKの不正を文春に内部告発したからクビになったと主張しているけど、当時の文春記事は、「私が手を染めた裏金作り」
— シャクトリムシ (@tonden2) June 19, 2025
要はNHKにバレて、クビになりそうになったから、NHK全体で不正をやってると例の如く相手の弱みを何倍にも誇張して切り返しただけでしょ。
当時も今も変わらない。 pic.twitter.com/Zx5l70j54c
2005年4月、立花孝志さんは週刊文春でNHKの不正経理を実名で内部告発します。
Wikipediaによると、この告発により7月に懲戒処分を受け、NHKを依願退職しました。
週刊文春の記事タイトルは「NHK現役経理職員 立花孝志氏 懺悔実名告白『私が手を染めた裏金作りを全てお話しします』」でした。
この週刊文春の記事内容というものの全文が、立花孝志さんの公式ブログに載っていました。
↓↓↓こちらがそのブログのリンクです。(アメブロに飛びます)
NHKから国民を守る党 代表 立花孝志 公式ブログ
立花孝志さん自身も不正経理に関与したことを認めた上での告発という、異例の内部告発でした。
週刊FRIDAYのインタビューで、立花孝志さんは告発の理由をこう説明しています。
「NHKに入局してみると、その受信料で飲み会するわ、不倫相手と○○○するわ、ムチャクチャです。人様から半強制的に受信料をもらっているなら、他の組織以上に襟を正すのが当然でしょう。子どものころからカネに苦労していたので、不正は許せませんでした」
引用元:FRIDAY
立花孝志さんの若い頃に培われた貧困の経験と正義感が、この内部告発につながったことは明らかなようです。
NHK退職後の8年間は再びパチプロに

NHKを退職した後、立花孝志さんはフリージャーナリストとして活動を始めますが、生計を立てるために再びパチンコに頼ります。
Wikipediaによると、退職後8年間はパチプロで生計を立てていたそうです。
高校時代に磨いたパチンコの腕が、立花孝志さんの若い頃だけでなく、30代後半から40代前半の生活も支えていたということですね。

立花孝志さんの若い頃は、貧困、栄養失調、パチプロ生活という波乱に満ちたものでした。
幼少期から小学生時代の新聞配達、高校時代のパチプロ生活、そしてNHK入局という逆転劇。
その後の内部告発は、若い頃の苦労が生んだ正義感の表れだったと言えるのかもしれません。