今や日本を代表する女優として、不屈のヒロインを演じ、数々の舞台やミュージカルで世界を魅了する米倉涼子さん。
デビューから30年近く経った今も、その美貌と演技力は衰えることなく輝き続けています。
そんな米倉涼子さんの若い頃はどんな活躍をされていたのでしょうか?
米倉涼子さんの初々しい若い頃を詳しくまとめて調査してみました。

米倉涼子の若い頃・友人が応募した美少女コンテスト

幼い4歳の頃からバレエを始めていたという米倉涼子さんですが、芸能界には興味がなかったといいます。
4歳のころからバレエを始め、のちには谷桃子バレエ団に通った。デビュー前は芸能界には興味がなく、映画を初めて観たのも高校に入ってからというほどだった。
引用元:文春オンライン
そんな米倉涼子さんの芸能界デビューは、1992年の「第6回全日本国民的美少女コンテスト」でした。
当時高校2年生だった米倉涼子さんは、なんと友人が勝手に応募してくれたことがきっかけでこのコンテストに参加しました。
【なんだこれw】米倉涼子の若い頃美少女過ぎるwwwwww… http://t.co/cGj8FOW2QP pic.twitter.com/LhjISOIvTb
— ふきこし ひろき (@pokyxenamogo) October 18, 2014
米倉涼子さんは、この美少女コンテストで審査員特別賞を受賞し、芸能界入りを果たします。
92年「全日本国民的美少女コンテスト」審査員特別賞を受賞し芸能界へ。
引用元:NHKアーカイブス
ちなみにこの年のグランプリは女優の佐藤藍子さんでした。
神奈川県横浜市出身の米倉涼子さんは、この受賞をきっかけにオスカープロモーションに所属。

翌年の1993年にモデルとしてデビューし、ファッション誌の世界へと足を踏み入れることになります。
米倉涼子の若い頃・90年代CanCamトップモデル

1993年のデビュー後、米倉涼子さんは1995年から人気ファッション雑誌『CanCam』(小学館)の専属モデルとして活躍を開始します。
この時代の『CanCam』は、まさに日本のファッションシーンを代表する雑誌でした。
当時の『CanCam』には、米倉涼子さんのほかに藤原紀香さん、長谷川理恵さん、梨花さん、仁香さんといったそうそうたるメンバーが揃っており、彼女たちは「CanCamトップモデル」として90年代の女性ファッションを牽引していました。
今日ブックオフで買ったCD『CanCam selects for FRIENDS』。
— F氏 (@F_DUB_SHINE) November 27, 2018
雑誌CanCamの創刊15周年記念でリリースされた謎のコンピ。Incognito,The Brand New Heavies,更にはKool&The GangなどCanCamギャルに全くアピールしなさそうな誰得な選曲。ジャケットに若き日の米倉涼子、長谷川京子の姿が…価格は200円。 pic.twitter.com/ndw0FSbzIM
1997年1月号では、この5人が一緒に表紙を飾ったこともあり、まさに黄金時代を築き上げました。
米倉涼子さんさんは1996年にはユニチカ水着キャンペーンガールにも選ばれ、抜群のスタイルで注目を集めました。

当時21歳だった米倉涼子さんの水着姿は、多くの雑誌に掲載され、モデルとしてのキャリアを確固たるものにしていきます。

若い頃の米倉涼子さんは、今のショートヘアとは違いロングヘアが多く、初々しい笑顔が印象的でした。
米倉涼子の若い頃・23歳で女優宣言、3年で主役の目標達成!

モデルとして絶大な人気を誇っていた米倉涼子さんですが、1999年6月、23歳のときに大きな決断をします。
それが「女優宣言お披露目発表会」という大掛かりな記者会見でした。
黒のドレス姿で登場した米倉涼子さんは、この会見でモデルを卒業して女優に転身することを宣言。
米倉はモデルとして活躍した後の99年に、大掛かりな会見を開き“女優宣言”した。
引用元:日刊スポーツ
同時期に菊川怜さんも女優宣言をしており、大きな話題となりました。
米倉涼子が若い頃、実写版「虚構推理」で岩永琴子を演じてた事は有名である。
— イーマ (@iima1911a1) February 26, 2020
実写版は九郎が登場しないので、おひいさま一人で戦闘もこなすのだ! pic.twitter.com/DKtfePftMv
この「女優宣言」について米倉涼子さんはのちに語ったエピソードとして、2023年のラジオ番組出演時には「自分の気持ちじゃないですよ」と明かし、当時の事務所の意向が大きかったことを振り返っています。
それでも米倉涼子さんは「モデルから女優に転身する際に、3年で主役をやると目標を立てた」と周囲に宣言し、実際にそれを実現させました。
米倉涼子の若い頃・ドラマで女優成長期

2000年にTBS系ドラマ「恋の神様」で女優デビューを果たした米倉涼子さん。
キャビンアテンダント役を演じたこのドラマでは、あるセリフで「21回」もNGを出してしまったというエピソードも。

駆け出しの1年目で4本のドラマに出演した米倉涼子さんは、26歳の2002年には目標通り初主演ドラマ『整形美人。』を獲得しています。
モデルから女優への転身は、決して平坦な道ではありませんでしたが着実に力をつけていきました。
「黒革の手帖」で開花した女優としての才能

そして女優転身から約4年後の2004年、米倉涼子さんは転機を迎えます。
テレビ朝日系ドラマ「黒革の手帖」で主演を務め、松本清張原作の銀行OLから成り上がる悪女・原口元子役を演じたのです。
当時29歳だった米倉涼子さんが演じたこの役は大好評を博し、「視聴率女王」と呼ばれるようになるきっかけとなりました。

この作品を境に、米倉涼子さんは悪女役や強い女性、クールな役柄を演じることが多くなり、女優としての地位を確立していきます。
めちゃくちゃ懐かしくて見てもうたぁ
— Mother.Lake… (@MotherLake2) December 14, 2023
Doctor-X 外科医・大門未知子
ドクター-エックス 2012年からテレビ朝日系「木曜ドラマ」枠(木曜 21:00 – 21:54)で放送されていた日本のテレビドラマシリーズ
こんな時日がたったんですね✨
大好きな米倉涼子さんお綺麗です👍✨ pic.twitter.com/7vqnmESJm1
2019年のインタビューでは「飾らなくて忖度しないところ」が、当たり役となった大門未知子と自分との共通点だと語っています。
「飾らなくて忖度しないところは、私と通じる部分がある。だけど私はわりと(周囲に)引っ張られちゃうタイプなので、未知子のぶれないところはすごいと思う。あれが本物のすごい人なのかな」
引用元:AERADIGITAL
舞台やミュージカルに進出、海外ブロードウェイも!
さらに米倉涼子さんはTVだけにとどまらず、舞台やミュージカルにも進出。
2006年には『黒革の手帖』が舞台化されて舞台初出演、2008年と2010年にはミュージカル『CHICAGO』でロキシー役を務めるなどの活躍を見せました。
2011年には帝国劇場版『風と共に去りぬ』でヒロイン・スカーレット役を演じ、翌年の2012年にはミュージカル『CHICAGO』のブロードウェイ版でロキシー役にアジア系女優で初めて抜擢される快挙。

そして同作品には2017年と2019年にも再出演して成功を収めるなど、目覚ましい活躍を見せ着実に女優・米倉涼子の名を広めていきました。

米倉涼子の独立と現在の活動

2020年3月、米倉涼子さんは約20年務めたオスカーを退社して芸能活動を独立化すると発表しました。
米倉は1992年8月からモデル部に所属して活動。99年6月30日、「女優宣言お披露目デビュー発表会」以来、20年9カ月にわたって同事務所で活動してきた。
引用元:デイリー
現在は自身の個人事務所を設立し、引き続き女優業に専念しています。
その一方で公私ともに転機の時期でもあり、2019年には脳脊髄液減少症(低髄液圧症候群)を発症し、ミュージカル公演中に体調不良で倒れた経験を明かしました。
本作の撮影前にアメリカと日本で上演したミュージカル「シカゴ」を持ち出すと「その(上演)1か月前に低髄液圧症候群になり、脊髄に傷が入って脳の髄液が落ちていくから真っすぐ歩けなくなったり、やる気がなくなったり、2週間は安静で練習もできないまま、このままどうしようと思った」と告白。
引用元:シネマトゥデイ
以降、この病気との闘いと向き合いながら活動を続けています。

米倉涼子さんの若い頃の初々しさから、現在の堂々たる存在感まで、米倉涼子さんの変わらぬ美しさと努力の積み重ねには、学ぶべきものが沢山ありそうですね。
今後の米倉涼子さんの活躍にも期待したいですね。



