お笑いコンビ「めぞん」の吉野裕介さんといえば、YouTubeチャンネル「板橋ハウス」でも人気の若手芸人ですよね。
福岡県北九州市出身で、切れ味の良い漫才が話題になっています。
そんな吉野裕介さんですが、高校時代にはちょっと意外なエピソードが…。
実は受験に失敗して定時制高校に通っていたという過去があります。
一体どんな高校生活を送っていたのでしょうか。この記事では、めぞん吉野裕介さんの出身高校や受験失敗エピソード、そして定時制高校での青春時代について調査しました。

めぞん吉野裕介の高校受験全落ちエピソード

2ちゃんねるとゲームに夢中で勉強せず
めぞん吉野裕介さんは、中学時代にちょっとした転機を迎えていたそうです。
小学生のころはテレビのお笑い番組が大好きで、将来はお笑い芸人になりたいと思っていました。
しかし中学生になってからは、テレビを見る習慣がなくなり、代わりに2ちゃんねるやメイプルストーリーといったインターネットの世界にどっぷりハマってしまったのです。
テレビ朝日のインタビュー記事では、吉野裕介さん本人がこのように語っています。
僕も子供のころからテレビのお笑いが好きで、お笑い芸人になりたいと思ってましたね。でも中学生に上がったあたりから、一切テレビ観なくなって、代わりに2ちゃんねるに張りつくようになって。
引用元:テレビ朝日
インターネットに夢中になった結果、勉強がおろそかになってしまったようです。
吉野裕介さん自身も「インターネットの権化」と表現していて、Twitterも無限にやり続けていたとか。
当時は芸人ではなく、ネット上のおもしろい人になろうとしていたというのは驚きですね。
【動画】唯一受けた公立高校に落ちた

そんな中学時代を過ごした吉野裕介さんは、高校受験で厳しい現実に直面します。
なんと唯一受験した公立高校に不合格となってしまったんです。
ニューヨークのYouTubeチャンネルに出演した際にも、この受験失敗エピソードについて語っていました。
2ちゃんねるやメイプルストーリーに熱中しすぎて、勉強がほとんどできていなかったことが原因だったようです。
板橋ハウスのYouTubeチャンネルでは「高校受験全落ち」というタイトルの動画も公開されており、当時のエピソードがネタにされています。
受験に失敗したショックは大きかったでしょうが、そこから吉野裕介さんの新しい高校生活が始まることになります。
めぞん吉野裕介が通った定時制高校とは

福岡県北九州市の定時制高校に進学
公立高校受験に失敗した吉野裕介さんは、福岡県内の定時制高校に進学することになりました。
具体的な高校名は明らかにされていませんが、出身中学校が北九州市小倉北区の思永中学校であることから、その近辺の定時制高校だったと考えられます。
周りにヤンキーが多い環境だった?

北九州市という土地柄や定時制高校ということもあり吉野裕介さんが通っていた定時制高校は、ヤンキー系の方々が多い高校だったかもしれません。
そうなると、やはりアニメや漫画、2ちゃんねるといった自分の好きなことを話せる友達がいないということにもなり、高校生活において寂しい思いをしたのでしょう。
趣味を共有できる友達がいなかった青春時代

テレビ朝日のインタビューで吉野裕介さんは、高校時代についてこう振り返っています。
高校も定時制だったし大学も行かなかったので、NSCが青春でした。
引用元:テレビ朝日
趣味を共有できる友達がいない環境で、自分の好きなことを思い切り楽しめなかったようです。
だからこそ、後に入学する吉本興業のNSC(お笑いタレント養成所)が、吉野裕介さんにとって本当の青春の場所となったわけです。
高校時代に友達と盛り上がれなかった分、お笑いの世界で出会った仲間たちとの時間がより輝いて見えたのかもしれませんね。
めぞん吉野裕介の高校卒業後の人生

3年間働いて養成所入学を先延ばし
定時制高校を卒業した吉野裕介さんですが、すぐにお笑いの道に進んだわけではありませんでした。
実は高校卒業後、約3年間は普通に働いていたんです。
「お金が貯まったら養成所に行こう」と考えていたそうですが、なかなか踏み切れずにいました。
吉野裕介さん自身、ビビってしまって3年が過ぎてしまったと語っています。
小学生のころから芸人になりたいと公言していたのに、実際に行動に移すのは勇気が必要だったようです。
母親が会社の小切手を紛失する事件

そんな吉野裕介さんの人生には、思わぬ転機が訪れます。
NSCに入学する資金も貯まり、いざ入学しようとしていた矢先、母親が会社の40万円の小切手を紛失してしまったそうです。
このエピソードについて、吉野裕介さんはテレビ朝日のインタビューでこう話しています。
ちょうどそのときオカンが会社の40万円の小切手を失くしちゃって。泣いてるオカンに「40万くらいなら大丈夫だよ」って渡しましたね。
引用元:テレビ朝日
NSCの入学金とちょうど同じ額の40万円を母親に渡したことで、入学は1年先延ばしになりました。
でもこの出来事があったからこそ、板橋ハウスのメンバーである竹内智也さん、住岡遼太さんと同期になれたのです。
もし1年早く入学していたら、今の「板橋ハウス」は存在していなかったかもしれません。
東京NSC22期で運命の出会い

1年遅れて東京NSC22期に入学した吉野裕介さんは、そこで人生を変える出会いを果たします。
同期の竹内智也さん(ピュート)、住岡遼太さん(軟水)と出会い、後に3人でルームシェアを始めることになります。
NSCでの日々について、吉野裕介さんはこう振り返っています。
ただただめっちゃ楽しかったからですね。まわりの人がめっちゃおもしろかったので、ここにずっといたいなぁって。
引用元:テレビ朝日
高校時代は趣味を共有できる友達がいなくて寂しい思いをしていた吉野裕介さんですが、NSCでは同じ志を持つ仲間たちに囲まれて、ようやく本当の青春を味わえたようです。

めぞん吉野裕介が芸人として成功するまで

相方の原一刻との出会い
NSCに入学した吉野裕介さんは、まず「男尊女卑」というコンビ名(すぐに「シャボン玉」に変更)で活動を始めました。
しかしその相方とは1カ月ほどで解散してしまいます。
理由は、吉野裕介さんがやりたい「妹が欲しい」「女子高生が好き」といったアニメや漫画から着想を得たネタを、相方が「キモい」と拒否したからでした。
その後出会ったのが、現在の相方である原一刻さんです。
原一刻さんは吉野裕介さんのネタに1ミリも文句を言わず、やりたいことをやらせてくれる相方でした。
吉野裕介さんは「やったー!僕の傀儡くんだ!」と喜んだそうで、ようやく自分らしいネタができる環境がここで整のったそうです。
板橋ハウスでYouTubeバズる
2020年10月、吉野裕介さんは同期の竹内智也さん、住岡遼太さんとルームシェアを開始し、「板橋ハウス」という名前でYouTube活動を始めます。
3人の日常を撮影した動画がTikTokやYouTubeでバズり、一気に知名度が上がりました。

「同居人帰宅ドッキリ」シリーズなど、芸人ならではの切れ味鋭いツッコミが話題となり、YouTubeチャンネルの登録者数は60万人を超えています。
高校時代は友達が少なかった吉野裕介さんですが、今では多くのファンに支えられる人気芸人にとなりました。
神保町よしもと漫才劇場で活躍中

めぞんとして、吉野裕介さんは神保町よしもと漫才劇場に所属し、舞台でも活躍しています。
2023年にはM-1グランプリで3回戦まで進出するなど、着実に実力をつけています。
高校受験に失敗し、定時制高校で孤独な青春時代を過ごした吉野裕介さんですが、その経験があったからこそ、NSCでの出会いや板橋ハウスでの活動をより大切にできたのかもしれません。
今では板橋ハウスのメンバーと一緒に、毎週土曜日の夜にYouTubeライブを配信し、ファンとの交流を楽しんでいます。
これからもめぞんと板橋ハウスでの活躍、そしてM-1グランプリ2025のファイナリストとしての次なるステージが楽しみですね!


