横浜市長の山中竹春さんが、2026年8月に辞職の意向を表明しました。
任期の途中で市長の座を降りることになり、あらためて振り返られているのがその経歴です。
紹介されるときは決まって「元・横浜市立大学医学部教授」。
この肩書から、お医者さんだと思っていた方も多いのではないでしょうか?
ところが山中竹春さんは、医師免許を持っていません。
横浜市の公式プロフィールにある学歴をたどると、その理由ははっきりしています。
医学部を出ていない人がなぜ医学部教授になれたのかも含めて、順番に見ていきます。

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山中竹春は医師ではない?医師免許を持たない理由

山中竹春さんは病院やがんセンターに長く勤めてきた人ですが、資格の話になると答えは一つしかありません。
まずは免許の有無から確認していきます。
医師免許は持っている?
山中竹春さんは医師免許を持っていません。
横浜市が公開している市長プロフィールの学歴欄を見れば分かります。
1991年 早稲田大学本庄高等学院 卒業
1996年 早稲田大学政治経済学部経済学科 卒業
1998年 早稲田大学理工学部数学科 卒業
2000年 早稲田大学大学院理工学研究科 修了
経済学科、数学科、理工学研究科。
医学部という文字がどこにも出てきません。取得した学位も博士(理学)です。
医師免許は、医学部医学科の6年課程を修了して医師国家試験に合格しなければ取れない資格です。
「持っていないらしい」ではなく、公式の学歴の時点で確定している話なんですね。
なぜ「医師」と間違われる?
では、どうして医師だと受け取られてしまうのでしょうか?
経歴を並べてみると、誤解されるのも無理はないと分かります。
- 九州大学医学部附属病院に勤務していた
- 九州がんセンター、国立がん研究センターで役職に就いていた
- 横浜市立大学では「医学部」の教授だった
- 扱っていたテーマが、がん治療という医療そのものだった
病院、がんセンター、医学部教授。
この3つが一行に並んでいれば、白衣を着た人を想像するのが自然です。
市長になってからも医療や検査の話を自ら数字で説明する場面が多く、「医療に詳しい市長=医師」という印象はさらに強まりました。
専門は医療統計とデータサイエンス
山中竹春さんの専門は医療統計とデータサイエンスです。
医療機関にいたことは事実ですが、担っていたのは診療ではなくデータの解析でした。
新しい薬や治療法が本当に効くのかは、担当医の手応えでは決められません。
何百人分ものデータを統計的に処理し、偶然ではないと言い切れるかを判定する専門家が要ります。
それが生物統計と呼ばれる領域で、山中竹春さんはそちら側の人でした。
患者を診る人ではなく、診た結果として出てきた数字を読む人。
同じ病院にいても、立っている場所がまるで違うわけです。
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山中竹春の学歴と研究者時代の経歴

山中竹春さんが数字の専門家になるまでの道のりは、かなり回り道をしています。
早稲田で経済学から数学へ学び直す
山中竹春さんは、1998年に理工学部数学科を卒業しています。
学士入学、つまり一度大学を出たあとに別の学部へ、経済学部から数学科へ入り直しています。
その後は大学院理工学研究科へ進んで2000年に修了し、2003年に博士(理学)を取得しています。
数字を扱う力を土台から積み直した選択が、のちの医療統計につながりました。
九州大学病院からがんセンターへ
大学院を出た山中竹春さんが最初に勤めたのは、九州大学医学部附属病院でした。
研究者としての職歴は、横浜市の公式プロフィールに次のように記されています。
- 2000〜2004年 九州大学医学部附属病院 文部教官助手
- 2002〜2004年 アメリカ国立衛生研究所 研究員
- 2004〜2005年 財団法人先端医療振興財団 研究員
- 2006〜2012年 国立病院機構九州がんセンター 室長等を歴任
- 2012〜2014年 国立がん研究センター 部長等を歴任
出典は横浜市公式サイトの市長プロフィールと、指定都市市長会のプロフィールです。
九州がんセンターで室長、国立がん研究センターで部長と、「医師ではない人」が、がん専門機関で8年にわたり要職に就いていたことになります。
アメリカ国立衛生研究所でも研究
九州大学に在籍していた時期と重なる2002年から2004年にかけて、山中竹春さんはアメリカ国立衛生研究所(NIH)でも研究員を務めています。
NIHはアメリカ政府の医学研究機関で、この分野では世界最大級の規模を持つ組織です。
医学部を出ていない数学科出身の研究者がそこで研究員を務めていたというのは、なかなか見ない経歴ですよね。
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山中竹春が医学部教授になれた理由

ここまでが山中竹春さんの研究者としての歩みです。
では医師免許を持たない山中竹春さんが、なぜ医学部の教授になれたのか?
ここが一番引っかかるところだと思います。
横浜市立大学で医学部教授に就任
山中竹春さんが横浜市立大学に移ったのは2014年です。
公式プロフィールによると、医学部教授、特命副学長、大学院データサイエンス研究科長などを2021年まで歴任しています。
医学部で教えながら、データサイエンス研究科の立ち上げにも関わっていたようです。
医学部教授でも医師とは限らない
意外に思われるかもしれませんが、医学部の教授に医師免許は必須ではありません。
実際の医学部には診療をしない研究分野がいくつも置かれています。
大学が教授職に求めるのは免許ではなく研究業績と教育能力だからです。
とくに医療統計は、医学部にとって欠かせないポジションです。
臨床試験の設計も、集まったデータの解析も、統計の専門家がいなければ形になりません。
医師だけを集めても医学部は回らない、というのが現実なのです。
つまり山中竹春さんは「医師じゃないのに医学部教授になった例外」ではなく、もともと医学部にある枠に収まった人ということになります。
ここを知っているかどうかで、経歴の見え方はずいぶん変わってきます。
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山中竹春が横浜市長になるまでと2026年の辞意表明

研究者として20年以上を過ごした山中竹春さんが、政治の世界に足を踏み入れたのは40代の終わりでした。
2021年に初当選し2025年に再選

山中竹春さんが横浜市長選挙に無所属で出馬したのは2021年8月です。
大学教授からの転身という異色の経歴と、データを使った市政という掲げ方で支持を広げ、初当選を果たしました。
2025年8月の市長選でも再選され、2期目に入っています。
3つを市政の方針に掲げており、研究者時代の発想がそのまま持ち込まれていました。
一方で私生活についてはほとんど語らない人で、家族の情報が表に出た数少ない場面は妻と子供についてはこちらでまとめています。

2026年8月に辞意を表明
2期目の途中だった2026年8月28日、山中竹春さんは横浜市長を辞職する意向を表明しました。
市職員への言動をめぐって第三者調査委員会がパワハラを認定したことを受けたものです。
認定された内容や辞意に至るまでの経緯は、パワハラ問題をまとめたこちらの記事で詳しくまとめています。

「医師ではないのに医学部教授」という経歴は、肩書だけを並べると確かにちぐはぐに見えます。
ただ順を追ってたどれば、数学から医療統計へ進み、その専門性を買われて医学部に迎えられたという、一本の線でつながった道のりでした。
医師免許を持たないことは、山中竹春さんの経歴にとって欠けている部分ではなく、専門が別のところにあったということでした。