武部新の父は武部勤!BSE騒動でも辞めなかった農水大臣の椅子を息子が継ぐ

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簗和生さんの辞任を受けて、農林水産大臣に起用された武部新さん。

実は父の武部勤さんも、2001年に同じ農林水産大臣の椅子に座っていました。

ただ父のときは、在任中にBSE騒動が起き、不信任案や問責決議案を出されても辞めなかった大臣です。

中華料理店の息子から自民党幹事長まで上りつめた父が、ホリエモンを「我が息子」と呼んだ2005年を経て、息子に同じ椅子を渡すまでをたどります。

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目次

武部新の父親は元幹事長の武部勤で現在85歳

武部新の父武部勤
プロフィール
  • 氏名:武部勤(たけべ・つとむ)
  • 生年月日:1941年5月1日生まれ/85歳 ※2026年現在
  • 出身地:北海道斜里郡斜里町
  • 学歴:斜里高校→早稲田大学第一法学部
  • 経歴:北海道議会議員(4期)→衆議院議員(8期)→農林水産大臣(2001〜2002年)→自民党幹事長(2004〜2006年)→2012年に引退
  • 現在:公益財団法人東亜総研 代表理事、在札幌モンゴル国名誉領事
  • 家族:妻・凉子さん、長男・新さん、次男・毅さん、長女・薫さん

武部新さんの父は、農林水産大臣や自民党幹事長を務めた元衆議院議員の武部勤さんです。

新さんは銀行員やシカゴ大学への留学を経て、2003年から父の秘書になりました。2012年に父が引退すると、その地盤を継いで北海道12区から初当選しています。

父は2009年の衆院選で、民主党の松木謙公さんに選挙区で初めて敗れ、比例で復活していました。新さんは2012年の初めての選挙で、その松木さんを上回って当選しています。

父が負けた相手に、3年後に息子が勝ったわけで、地元の後援会にとってはちょっとした敵討ちだったかもしれません。

85歳になった父の勤さんは、現在も東亜総研の代表理事として、外国人技能実習生の受け入れ支援などに取り組んでいます。2025年12月から2026年2月にかけては、北海道新聞で30回にわたって自分の半生を語りました。

その連載で、父はこんな話をしています。

高市早苗内閣の支持率がとても高いですね。僕は自民党幹事長時代の約20年前、高市さんや夫の元衆院議員山本拓さんら若手国会議員数人を伴ってモンゴルや中国を訪問し、両国首脳と率直な意見交換をしました。

引用元:北海道新聞

20年前に父が連れて歩いた若手議員が総理大臣になり、今度はその総理が息子を大臣に任命しました。父にとっては、感慨深い人事だったのではないでしょうか?

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武部新の父は中華料理店の息子で母は商店の娘

武部勤さんは、横浜で腕を磨いた中華料理人の父のもと、北海道斜里町で生まれました。

斜里町は母フサさんの故郷で、父の益太さんは町で中華料理店を営んでいました。勤さんは早稲田大学の第二法学部(夜間)に入り、のちに第一法学部へ移って卒業しています。

卒業後は三木武夫の派閥の事務所で働き、1971年に北海道議会議員に初当選しました。政治家一家の生まれではなく、町の中華料理店から一代で国政まで上がった人です。

そんな勤さんが結婚したのが、新さんの母・凉子さんです。

妻の凉子は、僕が住んでいたオホーツク管内斜里町の隣町、清里町の出身です。地元では名のある「いよや」という飲食料品から呉服や酒、新聞など何でもある商店の娘で、

引用元:北海道新聞

連載のこの回のタイトルには、運命を感じて告白し結婚したとあります。

隣町の何でも屋さんの娘に自分から告白した若き日の父が、のちに幹事長として総理の横に立つのですから、人生どうなるか分かりませんよね。

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武部新の父がホリエモンを我が息子と呼んだ年

2005年の郵政選挙で、幹事長だった武部勤さんは、ライブドア社長だった堀江貴文さんの応援演説で、堀江さんを我が息子と呼びました。

2005年9月の衆院選では、亀井静香への刺客として衆院広島6区から無所属で出馬。応援に駆けつけた当時の自民党幹事長、武部勤は「わが息子」と公認候補のように持ち上げた。

引用元:日本経済新聞

本人のサイトに載せていた演説の全文では、「我が弟です、息子です」とまで言っていました。

ところがこの2005年は、本物の長男・新さんが父の秘書として働いていた時期です。

実の息子が秘書をしているのに、別の若者を我が息子と呼んで回る父。新さんがどんな気持ちでこの選挙を見ていたのか、ちょっと聞いてみたくなります。

堀江さんは落選し、2006年1月には証券取引法違反の疑いで逮捕されました。父は記者会見で、どんな若者にも父親のような気持ちで接していると弁明したと報じられています。

さらに同じ年には、堀江さん側から次男・毅さんにお金が渡ったとする「メール」が国会で取り上げられました。これはのちに偽物と分かり、民主党の議員が辞職する騒ぎになっています。

よその若者を息子と呼んだ結果、本物の息子まで騒ぎに巻き込まれたことになります。

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武部新の父も農水大臣でBSE騒動の真っただ中

武部勤さんは2001年4月から2002年9月まで、第1次小泉内閣で農林水産大臣を務め、その在任中に日本で初めてBSEが見つかりました。

不信任案を出されても辞めなかった父

2001年9月、千葉県で国内初のBSE感染牛が確認されました。牛肉が売れなくなり、農水省の対応の遅れに批判が集まりました。

昨年九月、千葉県でわが国初の「BSE」感染牛が確認されたことは、わが国畜産業界のみならず、国民にとってまさに衝撃的な事態であった。その後、北海道、群馬と相次いで「BSE」感染牛が確認されるに及んで、わが国の牛肉を中心とした食の安全性に対する不信は大きく広がり、生産者、流通・加工業者、小売店や飲食業者、そして消費者に甚大な影響をもたらしている。

引用元:衆議院 農林水産大臣武部勤君不信任決議案

野党は2002年2月に衆議院で不信任決議案を出し、参議院では問責決議案も出しました。どちらも否決され、小泉首相は武部さんを続投させています。

批判をさらに大きくしたのが、父の発言です。「感染源解明は酪農家にとってそんなに大きな問題なのか」と言ったと報じられ、辞任を求められると「5年も10年も前の責任を私が取らないといけないわけではない」と否定しました。

オホーツクは酪農のさかんな土地で、地元の酪農家に向けた言葉で批判された大臣でもありました。ちなみにこのころ、新さんは銀行を辞めてシカゴ大学に留学中でした。

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辞任した大臣の後任で息子が同じ椅子に

それから24年後の2026年10月、息子の新さんは、辞任した簗和生さんの後任として、父と同じ農林水産大臣になりました。

簗さんは、道路予算を削ったとする発言や公職選挙法違反の疑惑で批判を受け、内閣改造から1か月足らずで辞表を出しました。新さんにとっては初めての入閣で、急な登板です。

父は辞任を迫られても椅子を守り、息子は辞任した人の椅子を引き受ける。親子で同じ椅子なのに、座り方は正反対です。

しかも新さんの地元は、父がBSEのときに言葉で傷つけたとされる酪農家の多いオホーツクです。父が「私の責任の取り方」と言って守った椅子に、今度は息子がどんな形で座るのか、地元の人ほど気になっているのではないでしょうか?

父の地盤も、父が座った椅子も受け継いだ新さん。親子2代の農水大臣になった以上、これから何をするにも父と比べられ続けることになりそうですね。

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