原沢敦美の若い頃はミス横浜!桜蔭・慶應の才女が3年後にはJAL整備士

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横浜市長に初当選した原沢敦美さん、「ミス横浜だったって本当?」と気になりますよね。

それは本当で、原沢さんは市制100年の1989年にミス横浜を務めていました。

ところが公式サイトに並ぶ若い頃の写真は、たすき姿のわずか3年後には、もう作業服とヘルメット姿に変わっています。

ミス横浜のたすきを工具に持ち替えたきっかけは、大学2年で初めて乗った飛行機だったそうです。

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原沢敦美は1989年のミス横浜!たすき姿の若い頃

プロフィール
  • 氏名:原澤敦美(はらさわ・あつみ)※選挙では原沢あつみの名前で活動
  • 生年月日:1967年8月28日生まれ/59歳 ※2026年現在
  • 出身地:東京都大田区生まれ、3歳から約50年を横浜(磯子区・金沢区)で過ごす
  • 学歴:桜蔭中学・高校、慶應義塾大学理工学部応用化学科、同大学院、早稲田大学法科大学院
  • 経歴:1989年ミス横浜、日本航空の整備部門(1992〜2004年)、2009年に弁護士登録、2026年10月に横浜市長に初当選

原沢敦美さんは、横浜市の市制100年にあたる1989年に、ミス横浜を務めていました。

選挙中に神奈川新聞が紹介した人物紹介でも、ミス横浜の経歴は横浜への思いとセットで語られています。

幼少期から約50年間を横浜で過ごし、市制100年の1989年にはミス横浜を務めた。「青春や両親との思い出も全部横浜。市電が走っていた頃からまちの発展を見てきた」と熱っぽく地元愛を語る。

引用元:カナロコ by 神奈川新聞

ミス横浜時代の原沢敦美
引用元:原沢敦美公式サイト

公式サイトの「これまでのストーリー」には、「1989 ベイブリッジ開通」と添えられた、ミス横浜のたすきを掛けた写真が載っています。

帽子に白い手袋のクラシックな装いで、サイドカーに座って笑顔を向けている一枚です。横浜ベイブリッジが開通したのは1989年9月27日なので、市制100年で街じゅうが沸いていた年に、まさに「横浜の顔」をしていたことになります。

しかもこのとき、原沢さんは22歳になる年で、慶應の理工学部で学んでいた学生でした。勉強ができてミス横浜にまで選ばれる同級生がいたら、ちょっと近寄りがたかったかもしれませんね。

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原沢敦美の学歴と大学は?桜蔭から慶應理工

会見でマイクに向かう原沢敦美
引用元:原沢敦美Instagram

原沢さんの学歴は、桜蔭中学・高校から慶應義塾大学理工学部応用化学科、同大学院理工学研究科です。

小学校は横浜国立大学教育学部附属横浜小学校で、中学からは東京・文京区にある女子校の桜蔭に進んでいます。

桜蔭といえば、東大合格者数で毎年全国の上位に名前が挙がる女子の名門校です。

3歳から25歳まで磯子区で暮らしていたと本人が話しているので、中高の6年間は磯子から文京区まで通っていたことになりますよね。

大学は文系ではなく慶應の理工学部応用化学科を選び、大学院まで進んでいます。のちに弁護士になるのは、社会人になってから早稲田大学法科大学院で学び直したあとのことです。

大学2年の宮古島トライアスロンで初めて飛行機に

トライアスロンをする原沢敦美
大学2年生の頃の原沢敦美さん 
引用元:選挙ドットコム

原沢さんが飛行機の仕事を目指したきっかけは、学生時代に宮古島トライアスロンに出るため、初めて飛行機に乗ったことでした。

神奈川新聞の人物紹介によると、そのとき飛行機に魅了されて、航空整備士の道を選んだそうです。公式サイトの年表にも、自転車にまたがる「宮古島トライアスロン(大学2年)」の写真が並んでいます。

ミス横浜のたすき姿と、ヘルメットにサングラスでレースを走る姿が、同じ学生時代の写真というのは、なかなかの振り幅ですよね。

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ミス横浜の3年後は作業服のJAL整備士

JAL航空整備士時代の原沢敦美
JAL航空整備士時代の原沢敦美さん 
引用元:選挙ドットコム

原沢さんはミス横浜の3年後の1992年に日本航空に入社し、2004年まで整備部門で働いていました。

公式サイトの年表には「1992 日本航空株式会社(入社1年目)」として、作業服とヘルメット姿で工具を手にする写真が載っています。帽子と白い手袋でたすきを掛けていた写真から、3年後にこの姿になるとは、誰も想像しなかったのではないでしょうか?

整備士時代には一等航空整備士の資格を取得し、これは女性では日本で2人目だったと公式プロフィールに書かれています。

ちなみに、木原稔官房長官も1993年から2004年までJALに勤めていて、原沢さんとはほぼ同じ時期に同じ会社にいたことになります。

その後は早稲田のロースクールで法律を学び、2009年に弁護士登録をしました。司法修習の地も横浜だったので、弁護士としてのスタートも横浜だったことになります。

選挙戦の終盤、原沢さんは子供のころから暮らした磯子の駅前で、横浜への思いをこう語っていました。

14日夜、磯子駅前の歩道橋でマイクを握った原澤敦美氏は3歳から25歳までを磯子区で暮らしたと語る。
「私の思い出のすべてがここにあると言っても過言ではございません。今まで、ここまで育ててくれた恩を市長になって返したい」

引用元:集英社オンライン

25歳まで磯子で暮らしていたということは、ミス横浜のたすきを掛けていたころも、JALに入社して作業服を着たころも、帰る家は磯子にあったことになりますね。

1989年にミス横浜としてベイブリッジの開通を見届けた学生が、37年後に今度は市長として横浜の顔になりました。

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